歌詞の紹介

《淀/淀の川瀬》
《淀/淀の川瀬》二上り
〽淀の川瀬のナ 景色をここに引いて登るヤレ 三十石船(さんじふこくふね)合 清き流れを くむ 水車合 巡る間ごとは みなみな 目覚(めさめ)合 さいた盃おさえてすけりゃ 酔ふて 伏見へ 管巻き綱よ かうした所が合 千両松 ヨイヨイヨイ ヨイイヨイヨイヨ
[第4編13丁ウ]
元唄は、上方唄です。江戸に入ると常磐津節《夕月船頭》(弘化四(1847)年十一月、うた澤節の素地が生まれた頃でしょう、四代目市川小團次が江戸・市村座で踊った七変化舞踊『四季写土佐絵拙(しきうつしとさのふつつか)』の一曲)の曲中に本曲《淀の川瀬》が登場します。
淀川は琵琶湖に発す瀬田川、京都で宇治川となり(嵐山渡月橋からの)桂川・(三重からの)木津川の三河川が京都の南で合流して淀川と呼ばれ、大阪枚方の西側を通り大阪湾に流れ注ぐ大川です。
川の合流地点には、かの淀城、江戸時代には淀城北側桂川と宇治川の合流点附近に大小二つの水車が設置され、城内に水が汲み入れられていました。〽淀の川瀬の水車 なんと浮世を回るらん 京阪淀駅近辺で史跡を見ることができます。元禄年間オランダの医師ケンペルが著書の中で「淀の町は美しく、水車小屋がその城の一部になっている」と称えています。このように「淀の川瀬の水車」は、淀川上り下りの名物の一つでした。
美しい景色を楽しみながら進む三十石船。清らかな川の水を汲み上げる水車、その景色にみんなが目を見張る。盃を片手に酔いながら伏見へ向かいます。
さて、三十石船の上り(川は、下流に流れるのが常。上りは、人力で引っ張るので重労働です。)は、「上り船曳きあげ」といって、早朝に大坂天満の八軒家を出発して、約十二時間で伏見に着くのが基本であったそう。(このページの上部にある画像をご覧ください。左から二つ目はこの曲の挿絵です。)岸に上がった船頭と岸にいる船引き人足が引いてあがりました。引くコースは、川の流れ方を基本にして、右岸や左岸に沿って引き上げたそうで、かの枚方にも船番所がありました(興味のある方は、名物「くらわんか舟」も調べてみましょう)。ちなみに、京都の伏見は、古くから酒造りで有名な町であり、旅人たちが酒を楽しむ場所でもありました。
「千両松」は伏見付近にあった、豊臣秀吉が植えたと言われる松で、あまりの見事さにその名が付いたそうです。船頭唄に〽淀の上手(かみて)の千両松 売らず買わずの見て千両 と詠われております。伏見から淀への道は宇治川沿いの狭い堤防上の道路で「淀堤」と呼ばれ、かつての淀堤に「千両松」と名付けられた場所が、今でも残っています。