歌詞の紹介

歌詞の紹介

《濡衣松藤浪》

《濡衣松藤浪》 本調子

作詞・作曲年/明治三年三月守田座  河竹其水作詞/初代哥澤芝金作曲

〽春の夜の 夢もむすばで 明烏 残る口舌の 有馬山 いなせともなき衣々に 互ひに募る恋の情 晴れて逢ふ瀬を 待つわいな
〽粋な浮世も 恋ゆえに 野暮な愚痴さへ有明の 花には曇る空癖の 雨もいつしか春の宵 星もちらほら薄明かり 忍び忍びて相惚の 嬉しき床にまだ消えぬ 吸い殻で見る顔と顔 真の仲では ヱ ないかいな
〽薄墨に にじみ書きなる玉章の 書くに書かれぬ筆の鞘 涙に雨の ふる里へ ないて別るる 帰る雁 とめてとまらぬ 春の暮れ 花を見捨てて 候かしく
〽花も実を 結ぶ誠のしんの床 若葉にくらき 下座敷 話す間もなき短夜に 東雲近く杜鵑 只ひと声を二人して 右と左の耳に聞く 嬉しい仲じゃ ないかいな

明治三年三月に守田座で初演された、本名題「樟紀流花見幕張」別名「丸橋忠弥」の五幕目「有馬温泉の場」での浄瑠璃として作られました。本来は《濡衫松藤浪》と書かれていましたが、近年「衫」が「衣」にかわり、読み方も「ぬれゆかたまつにふじなみ」から「ぬれごろもまつのふじなみ」となりました。 作詞は、河竹黙阿弥、節付けは初代哥澤芝金。初演当時、魚河岸を初めとする旦那衆の門弟より贈られた、柿に白抜き松葉巴が染抜かれた引幕が垂れ、芝居茶屋には、松葉巴の提灯が下り、哥澤連中で賑やかであったそうです。 原材は世にいう慶安事件、すなわち駿州由比出身の軍学者由井正雪が慶安四年、三代将軍家光の死を契機として浪人を糾合し倒幕を企てて発覚し、駿府の宿で自害した事件です。 本曲は、忠臣蔵の祇園一力茶屋における大星由良之助の趣向と同じく、由井正雪の同士である増田八衛門が有馬温泉で敵を欺く遊蕩三昧にて、湯女の小藤と契る色模様で用いられました。余所事浄瑠璃として出演した哥澤ですが、家元芝金連中が京大阪見物の流れで、有馬温泉に逗留した折りに、八右衛門一行に演奏を所望されて、みな、太夫の唄に惚れ惚れするというくだりがありました。 なお、初演配役は、八右衛門を美しい容貌で俗に「大芝翫」と呼ばれた四代目中村芝翫、小藤を女形随一の名優として美しい舞台姿で人気を博した二代目岩井紫若、後の八代目半四郎です。