歌詞の紹介

歌詞の紹介

《嵯峨の秋》

《嵯峨の秋》 本調子

作詞・作曲年/明治38年5月  小原芝石作詞/三代目哥澤芝金作曲

〽 さこそ心もすみぬらん さこそ 心もすみぬらん 月の嵯峨野や 秋の色 千代の経る道露分けて 軒に忍ぶの 轡虫 峰の嵐か 松風か 尋ぬる人の 爪音か 思ひ乱るる 萩 の戸を 洩れて床しき 想夫恋


《嵯峨の秋》は、『平家物語』巻六「小督(こごう)」の名場面──仲国(なかくに)が月夜の嵯峨野で小督の局を捜し当てる一夜──を主題にした曲である。源仲国が笛を携え、満月に照らされた竹野・亀山あたりを彷徨い歩き、かすかな琴の音《想夫恋(そうふれん)》を頼りに戸を叩く場面を凝縮している。
ググってみよう!「平家物語絵巻 小督 笛 箏


1 物語の骨格

高倉天皇の寵愛を受けた小督は、平清盛の怒りを恐れて嵯峨野に身を隠す。天皇の命を受けた笛の名手・源仲国は、「片折戸(かたおりど)の小家に隠れ、夜ごと天皇を偲んで琴を弾くらしい」というわずかな手掛かりだけを胸に、名月の夜に馬を走らせる。やがて風か松かとまごう幽かな弦の響きを聞き取り、「峰の嵐か 松風か 尋ぬる人の琴の音か」──仲国は笛で短く応え、門を叩き、天皇の御書を手渡す。ここに再会は成り、やがて後朝(きぬぎぬ)の涙と別離へと続く。


2 秋・月・琴――情景の鍵

    • 秋の嵯峨野
      嵯峨は平安以来の観月勝地。虫の声と遠い松風が入り混じる静寂は、恋のひそやかさを際立たせる。


    • 名月と笛
      雲一つない中秋の月が、笛と琴のやり取りを銀色に照らし出す。仲国の笛は"呼び声"、小督の琴は"返歌"として機能し、音楽そのものが恋文となる。


  • 《想夫恋》
    本来は唐楽「相府蓮」。漢名と「夫を想う」の語呂が通じ合い、古来"遠く離れた相手への慕情"を象徴する曲として扱われた。能〈小督〉や筑前今様〈黒田節〉にも引用され、**「爪音高き想夫恋」**は日本人の琴線をくすぐる常套句となった。


【黒田節】筑前今様〈黒田節〉の二番には、まさにこの場面を踏まえた歌詞が挿入される──
「峰の嵐か 松風か 尋ぬる人の琴の音か 駒引き止めて立ち寄れば 爪音高き想夫恋」
九州の武勇歌に"恋の琴"が唐突に現れるのは、「小督」エピソードが全国的に愛誦されていた証左である。


「さこそ心もすみぬらん さこそ心もすみぬらん」きっと心までも澄み渡っていることでしょう。秋の澄んだ空気の中、嵯峨野で静かに暮らす小督の落ち着いた様子が伝わってきます。

「月の嵯峨野や 秋の色」月が照らす嵯峨野はすっかり秋色に染まっています。名月の光に照らされるすすきや紅葉が、ひっそりとした山里を浮かび上がらせます。 


「千代の経る道 露分けて」永い年月を見守ってきた細い山道を、朝露をかき分けながら進んでいく――仲国が馬に乗り、奥深い嵯峨野へ分け入る情景を思わせます。 


「軒に忍ぶの轡虫」人里離れた家の軒先で、くつわ虫がひっそりと鳴いています。虫の声が響くことで、小督の慎ましく静かな暮らしぶりがいっそう際立ちます。


「峰の嵐か 松風か 尋ぬる人の爪音か」 それは山の嵐の音なのか、松を渡る風の音なのか、それとも私を訪ねてくる人の馬の蹄(ひづめ)の音なのか――小督の胸が高鳴り、外の物音に希望と不安が揺れ動きます。


「思ひ乱るる 萩の戸を」心を乱したまま、萩の花が咲く戸口に立ち尽くす小督。秋の萩が彼女の揺れる心情を映し出しています。 


「洩れて床しき 想夫恋」戸口からこぼれ聞こえる、いとおしい箏曲《想夫恋》の調べ。高倉院を慕って奏でる切ない音色が月夜に響き、仲国はその音をたよりに小督の居場所を確信します。



作詞者のお話~ 夏木立の作詞で知られる小原氏は、当時の家元三代目芝金から「何か長いものを」という注文で突飛に謡曲物を作ってみたそうだ。


初演では、糸を三代目芝金(初代芝勢以)、絃を二世芝勢以、箏を後の四代目芝金。喝采を受け、そののち、能の仕舞いなどを参考に「哥澤振り」が案出(哥澤振り家元 柴雪子)された記念すべき曲。1908年2月には東京女学館内奨励会館で柴田家四姉妹(唄 錦子氏、糸 清子氏、箏 道子氏、振 雪子氏)による《嵯峨の秋》が演奏された。LP録音『うた沢風流暦』では、四代 萩岡松韻 氏による箏の音を聴くことができる。


2025年6月14日記載